犬と乳がんと私

乳がん一年生のブログ初心者。予後不良因子と向き合い治療中。暴れん坊トイプードルの成長も一緒に綴っていきます。

ハーセプチン投与9回目&母の誕生日

6月25日(金)

ハーセプチン全18回のうち、ようやく折り返しまできました。

あと残り9回頑張ります!

 

6月26日(土)

今日は亡き母の誕生日です。

母は商売屋の長女で、子供の時からお店の手伝いや、5人の弟妹の世話をこなしてきたそうで、とにかく家のために動け動けの人だったようです。

本人が言ってたことですが、働くことは得意でも大雑把な性格で片付けが苦手だった。

よく大ばあちゃんから「出したその手でしまいなさい」と言われて続けてきたと。

結局大人になっても直らず、我が家はなんとなく散らかった家だったように思います。

そんな家でも、お客は多くいつも近所の人が遊びに来て母とお菓子をつまみながら世間話をしていました。

ご近所さんの娘さんに赤ちゃんが産まれると、何故か母が赤ちゃんをお風呂に入れてあげたりミルクをあげたりしていたそうです。

別のご近所さんが亡くなった時も、残された娘さんのことを親身に見てあげて母親のように慕われたりもしていました。

とにかく人を世話することに生きがいを感じる人だったように思います。

だからこそ孫の面倒を見たかっただろうに…。

実家は埼玉。娘の私は愛知。

お盆とお正月の年2回帰省する程度でした。

東京住まいの兄の方の孫(姪っ子、甥っ子)もとても可愛いがってましたが、孫をみるのは頼まれた時だけって、少し遠慮してたみたいです。

父が先に亡くなり、母1人になり孫にも滅多に会えない。そんな淋しい気持ちを近所のお姉さん達のお世話を焼く事で拭っていたのかな、、、想像ですけど。

父が亡くなってからは母の方から遊びに来てくれるようになりましたが、母もまもなく乳がんに罹患し、全摘後本人も安心しきっていたところ1年で脳と肺に転移。

6月に脳の手術をして、その後抗がん剤治療。

私は脳の腫瘍がキレイに取れたと聞いて回復に向かうと信じていました。

当時詳しく調べようともしていなかった私。

その年の12月23日、治療の甲斐もなくあっという間に帰らぬ人となってしまいました。

 

私は母とお出かけした記憶がほとんどありません。夏休み、冬休みに父母の実家の広島に帰省するくらい。

母は娯楽より生活を重視する人だったので、ランチや映画、舞台を観に行ったりなんてことはまずないです。

娯楽を我慢して、兄と私を育ててくれた母に、美味しいものを食べさせたり、いろんな所に連れて行ってあげたりしたかった。

それより1番悔やまれるのが治療中、ほとんど側にいてあげられなかったこと。

今思うと、早くこちらの病院に転院させれば良かったのにと、数えきれない後悔が残っています。

 

悲しみが全然癒えない時、私は母の夢を見ました。

実家のキッチンから私と兄がいる居間に現れたんです。

私は母に「母さん死んだんだよ。」って声をかけたら

母は「ほーね。ほーね。」と言っていました。(そうなの?ってことだと思います。広島弁?)

母を布団に寝かしつけ、南無阿弥陀南無阿弥陀と唱えながら兄と私で母の頭を撫でてあげていました。

 

その時、私はワンワン泣きながら目を覚まして、夢か現実か分からない状態でしたが、横で主人がどうした!?ってびっくりしてたので夢だったんだと理解しました。

あんなに鮮やかな夢は見たことないし、今も鮮明に残っています。

 

私がいつまでも悲しんでいたので母も心配だったのかな?この夢の後私の心は少し救われて、あの時母が安らかに天に召された瞬間だったのかと思えてなりません。

 

母の遺言です。

「こちらのお父さん、お母さん(義父母)を大事にしなさい。」

母さん、私は守ってきたつもり、つもりだけど…まあ心配しなくていいからね。

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私は今、娘にも離れた息子達にも「お母さん思う存分人生楽しんでるから心配しなくていいからね。」って強欲母さんで存在することにしています。